『リプレイ性』とは
近頃は贔屓にしているGAME SCOPE SIZEさんの記事を読んでいる。
昔から購読していたのだがブログの移転に気付かず、最近見ないな…?と思って確認してみたらその事実に行き当たり過去記事を漁っている次第である。
ディープな個人サイトが鳴りを潜める昨今、Buzzに頼らない豊富な知識を元にした充実のコラムを発信し続けてくれている御仁には頭が上がらない。
「リプレイ性」の評価neogamescopesize.wordpress.com
今回読んでいたのはこちらの記事。
巷でよく使われる「リプレイ性」という言葉について、感覚で捉えておりあまりリプレイ性という言葉の定義を深く考えていなかったので興味深く読ませてもらった。
特にゲームタイトルを具体例として挙げてくれている点はイメージが付きやすくて優しい。
以下の文は揚げ足を取るつもりではなく、記事を読んで浮かんだ自分の思考を整理するための駄文だ。
『リプレイ性』と『トライ&エラー』を分け隔てるもの
さて、一つこちらの記事を読んでいて気になったのが、”トライ&エラーとの区別”の項。
しかしリプレイ性の場合は全ひととおりのクリアは可能であり、そのなかでさらに別の方法でゲームクリアが可能か、別のゲームプレイが許容されるかという、全体での評価だ。
とあるが、この一通りのクリアが可能であるという前提が少し引っかかった。
この解釈で行くとクリアまでに試行錯誤を重ねるローグライクやSTGはトライ&エラーという括りに入ることになる。これらも個人的にはリプレイ性の高いジャンルだと認識しているので、どこが引っかかっており、それはどうすればこの疑問が解決するのかを考えていた。
ここでの基準点は、クリアという結末ではなく起点にあるのだと思う。『リプレイ性』の場合はプレイごとにステータスは(ほぼ)リセットされ開始地点はスタートに戻るが、『トライ&エラー』は一つ乗り越えるごとに先に進んでいく。
つまり『リプレイ性』というのは0からnまでの反復のことだ。
『トライ&エラー』は0から1をn回繰り返し、1から2を再びn回繰り返し…そうして最終的に0から10まで(クリアまで)到達することを目的にしてる。という違いがある。
0からでもやり直したくなる気持ち(ひいてはそのシステム)がプリミティブな『リプレイ性(Replay value, Replayability)』の正体だ。
リプレイ性のある小説とは?
この観点で見ると小説には何故リプレイ性という言葉が使われないのかが容易に理解出来る。何故なら小説はゲームのように媒体の中でステータスが積み上がることは無いからだ。
ゲームの主体はゲーム内存在で、小説の主体が人間自身であるとするならば、自分自身の記憶をリセットすることが出来ればリプレイ性の高い小説、というものが存在し得るのかもしれない。
とここまで書いて、毎回受け取る物語が変化するからリプレイ性の高いゲームだという評価もあることに気付いたのだがこれに言及するとナラティブの領域にまで話が広がっていくので今日はここまで。おしまい。