Oneshotが見た物語の極北
これもまたネタバレ記事なのでクリアした人だけ読んでね!
『OneshotはUndertaleやDDLCより見劣りするのは確かだ』、とまで断言している感想を見かけたので、それについてずっと考えてた。
確かにコアとなるゲーム部分は平凡だ。ベースがRPGツクールなので序盤はお遣いをひたすら繰り返すだけ。私もここで何度か挫折している。放り出してもうやらないとすら思っていた。正直に言ってつまらなかった。
一部には面白みのあるギミックも用いられているが、それを鑑みても特別高い評価の得られるゲームシステムだとは思わない。
だがしかし、ストーリーテリングは別だ。Oneshotで語られるメタなシナリオ構造は、私にとってはそれらよりも優れているものだとさえ感じられた。
それはひとえにSolsticeエンドのおかげだ。
私は果たしてOneshotという題に反してまで入れたこのルートが、蛇足であるかどうかについて悩んでいた。
あのエンドを追加したせいでせっかくの ”一度きり” というタイトルが台無しになってしまうという批判が一理あることは認める。
しかし、あのエンドこそがOneshotを一段上のステージへと押し上げる出色の出来であるのだと、今私は確信している。
Solsticeエンドが描いたものは、作者とプレイヤーが協力して作る "二次創作" だ。
本来存在しなかった追加エンドであるこのルート。道中ではメタな攻略方法を用いながら終わってしまったはずの世界の一つの新しい可能性を模索する。ゲームは、予めコードによって定められた範疇のシナリオしか表現することが出来ない。
しかしこのシナリオは、そのコードの限界を超えて、バグによって失われてしまったはずのエンディングを掘り起こしながら進む。スクリプトでしかないはずのキャラクターたちの協力も得て、強引に突き進む。それはまるで一度きりの運命を乗り越えようとする強い意思が灯ったようにも感じられる。
ゲームのキャラクターと、作者と、プレイヤーと、プレイヤーキャラクターとで存在しなかったはずのエンディングを作り出すというプロットは、他のどの作品でも成し得ていない第四の壁を超える作品の一つの到達点だ。
全てが救われ、ニコも帰れるというもはやデウスエクスマキナ的なご都合主義と言っても過言ではないエンディングだが、それもそのはず、あの一度きりの選択を経て、私達が望んだ結末を、作者単体では作り得なかった結末を、ゲームのコードをも改ざんすることによって手中に収めた理想の結末だ。
意思を持って動き出したキャラクターはworld machineから離れても永遠に生き続ける。
私達の思い出の中で。