ストラスちゃんネット

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「これはゲームなのか?展」に行って“ゲームルール”について考えた

こんにちは。
ボードゲームの発展はビデオゲーム界の発展へと普及する
と勝手ながら思っているムルくまです。


現在、有料アプリランキングで爆発的にヒットしている「ダンジョンメーカー」「Slay the Spire」の影響があったことは周知の事実とは思いますが、さらに元を辿ると「ドミニオン」というボードゲームが影響していることは知らない方もいるかもしれません。

また「ライフイズストレンジ」「Detroit: Become Human」のような一度限りのストーリー体験でプレイヤーの心を深く惹きつけるようなシステムは今後も発展していくと思いますし、ボードゲーム界でも実はそのような1度だけ遊べるゲームが発売されていたりします。

 

こういうやつ

T.I.M.E ストーリーズ 日本語版

T.I.M.E ストーリーズ 日本語版

 
アンロック! 日本語版

アンロック! 日本語版

 

 
そんな新しいアイデアに常にチャレンジし続けるですが
この度、最先端を走り続けるデザイナーの方々が集結し、ゲームのルールについて考えさせる展示「これはゲームなのか?展」を開催いたしました。


本稿では、実際に「これはゲームなのか?展」の展示を試遊し、私の感じたことも踏まえたレポートをしていきたいと思います。

 

これはゲームなのか?展 vol.1 ルールを世界する

is-this.a-game.tokyo

 

 

目次

 


「あいまいなすごろく」

最初に試遊して、最後まで印象的だったのはこのすごろくでした。


四角い台の上にはプレイヤーの駒となりそうなミープルが置かれており
眼鏡やコーヒーカップ、スタンドライトがただ置いてあるだけです。

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スタッフに説明を聞いたところ
「スタートとゴールをなんとなく決めてダイスを振って自由に進んでいただくすごろくです。」
とのこと。

 

困惑したまま赤いダイスと青いダイスを受け取ると
そのダイスには数字ではなく
「やや」「多少」「結構」「相当」といった日本語が書かれています。

 

さらにスタッフの説明では
「このダイスを振って【かなり(赤)・相当(青)】とでたら、スタート地点からあなたの思う“かなり相当”な距離を動かしてください」と。


この進む道や進む距離があいまいなすごろく
誰もが
「適当に進めちゃったらゲームじゃないじゃん・・・」
「ゴールまで一気に駒を動かせば勝ちでしょ」
とすぐ考えますし、実際にルール上駒を動かす距離が制限されているわけではないので違反ではありません。


ですがこのすごろく、一旦破綻しているように見えるのですが
“すごろく”という言葉をプレイヤーに伝えるだけですごろくゲームとして成立してしまいます。

 

理由は3つ。

1.“すごろく”と教えられた時点で何回か駒を動かしてゴールに向かうイメージをしてしまう


2.“すごろく”と教えられた時点で駒を動かす距離は大小様々であるとイメージしてしまう。


3.言葉による距離は正確ではないが価値基準が大幅に変わるものではない

 


すごろくのルールに縛られたプレイヤーが“あいまいなすごろく”を始めてみると
【かなり相当】を出した最初のプレイヤーがかなり相当ならこの辺りかな?と駒を置いたその1手目の時点で、プレイヤー間に【かなり相当距離】の価値基準が明確化し、ルール化されます。

 

もちろん【結構まあまあ】【とても多少】等、次々と振られていくサイコロによってどんどん価値基準は決められますし
負けているプレイヤーはどうしても先頭に追い付きたいので【かなり相当距離】をさっきよりも距離を増やしたりします。

でも明確な距離は決まっていないのでそれを言及するプレイヤーはいません。

結果的にあいまいなすごろくは何故か接戦になります。


「ルールで世界する」とは正にこのすごろくにピッタリの言葉で
プレイ中に人の価値観からルールが作られ
自分たちだけの世界が、ゲームが作られていました。
不思議な感覚でとても笑わせてもらいました。

 


「あいまいなトランプゲーム」

すごろくと同様に
「やや」「多少」「結構」「相当」といった言葉がトランプに書かれており
そのトランプで好きなトランプゲームを遊ぶコーナーでした。

 

今回私がプレイしたのは大富豪。

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“少々”とか“多少”のカードを出すならもう別に好きにしていいですよって感じでしたが
“とても”“相当”“かなり”“めっちゃ”は接戦でして
「相当ってかなりより強くないですか?」
「めっちゃは最強カードと思ってます!」
「とてもっていけますよね?」
と、自分の価値観を人に押し付ける汚いプレゼン大会が始まりました。

 

途中からはもう基準さえ忘れて
とても⇒かなり⇒結構⇒とても⇒相当 といったとにかくすごいから出せば通るみたいなぐしゃぐしゃのゲームに。

 

終わった後はひとしきり笑ってから
「全然すっきりしない…モヤモヤの残るゲームだった…」と
パーティーゲームがパーティーしすぎて
もうゲームと呼んでいいのか分からないぐらいまでトランプゲームが変容していました。

 

トランプゲーム、特に大富豪は出したカードの勝ち負けの判定が数字等でしっかり決まっているので本来なら1手1手スムーズに進むことができますが、その判定が曖昧になったことで他人の価値基準を判定する場面が常に連続で起きることで、判定多すぎてとにかくよく分からないけどやり続けるしかないというモヤモヤした状況が産まれてしまっているのかなと感じました。

 

 

「不自由オセロシリーズ」

誰もが知っているゲーム“オセロ”でも
ルールを追加することで“オセロ”の世界を崩すことができる。

そのような意思を感じたオセロゲーム3種でした。


最初は「返らないオセロ」
ルールは通常のオセロでしたが
初期配置されている駒4つがなぜか盤に張り付いていてひっくり返せない。

どうもそのまま進めなきゃいけないようで
ひっくり返せない箇所をどう判定するべきかはプレイヤー次第というわけです。

どう判定といわれてもひっくり返せないので適当に進めるしかないのですが
完全にオセロという世界が破壊されていました。

 

2つ目は「見えないオセロ」
プレイヤーの目の前に板があり、盤面が見えないようになっています。
後は普通にオセロを遊ぶだけなのですが
自分も敵も盤面が見えないため、盤面把握のために駒に触るともう盤上はオセロの均一性など皆無。
しまいには相手に見えてないからズルしてやろうという悪魔が私の心に囁いてきましたので
勝手に駒を動かす暴挙まで発生。
でも相手には見えないからお咎めなし。

こちらも完全にオセロの世界が破壊されていましたね。

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3つ目は「戦わないオセロ」
こちらも通常のオセロのように見えるのですが
突如追加ルールが発生。


【盤面に指定された模様を作らなければ二人とも負け】


【無事模様を作ることができれば二人とも勝ち】


という協力ゲームに変化。

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このゲームが意外と難しくて面白い…
まぁこれはもうオセロではなくなっていますが。

 


3種のオセロを通じて感じたことは
“オセロ”という世界はゲームルールだけでなく
盤面や駒にもルールがあり、全てのルールが“オセロ”という世界を作り上げていて
どこかルールが変わると“オセロ”という世界が変容してしまいます。

 

これこそが ルール=世界 を色濃く表現してくれていました。
まさにオセロのアンチテーゼ。

 


「スーパー MOKUSOKU」

お題となる商品カードをめくると
“森永乳業 ミルクキャラメル”といった実在するお菓子名が出てきます。
そのお菓子の箱の形や大きさを予想して、商品の箱を当てるというゲームでした。

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実際にやってみるとまぁ箱の形や大きさなんて全く覚えておらず
引いてみたら絆創膏が出てきた時には笑いました。

 

こちらのゲームは
・自在するお菓子のパッケージを使うため商品化ができない。
・プレイヤーによってお題への知識量に差がでる
と言ったところで新しい体感ゲームとしては不完全なため
ゲームなのか?展に展示していたのかなと思いました。

 

 

「貝塚」

銀杏の葉みたいなピースをとにかく積んで
誰が一番貝塚っぽいオブジェを作るか競うゲームでした。

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とりあえず私達は3分でオブジェを完成させ、その後に貝塚プレゼンタイムを行うことでゲーム感を出しましたが、実際は貝塚と言われても…と、特にゴール地点が思いつかずプレゼンタイムで何となく勝者を決めただけというまさにゲームなのか?といわれると知育玩具?というような答えしか思いつかない不思議なゲームでした。

 

しかし、このゴールへの曖昧さが勝ち負けをぼやけさせるという観点は実際にビデオゲームで使われています。

例をあげるとすると「Dead by Daylight」です。


「Dead by Daylight」は脱出を図る4人の生存者vs生存者を全員殺害したい1人のキラーというの非対称性対戦ゲームなのですが
このゲームには勝利や敗北といった表現は出てきません。


普通なら敗北とでるようなシーンでもなんか不機嫌っぽいという表現に

何故ならこのゲームは目的が勝利ではなく対戦ゲームを楽しんでもらうことに重きを置いているからだと思います。

例えばキラーで遊んでいる場合
もちろん生存者4人を倒すことは勝利と言っていいでしょうが
3人しか倒せなかった場合でも敗北ではありません。
むしろ3人も倒せるくらいにはうまくプレイできているので、勝利に近い状態です。
2人しか倒せなくても自分のプレイに納得がいけば敗北という表現は間違いとなります。

生存者側の場合
4人脱出が勝利か、自分1人だけ脱出が勝利か、自分がやられても他の3人が脱出できれば勝利か
様々なパターンはありますがどうしても勝利という判定が合わなくなってしまいます。

脱出すれば勝利というような判定ラインをプレイヤーに押し付けてしまうと
他のプレイヤーが脱出しても自分が死んだら敗北とされ、協力プレイの自己犠牲が間違いとされてしまいます。

「Dead by Daylight」はこのような勝利の判定をきらい
あえて曖昧な表現で勝ち負けをぼやけさせ、プレイヤーみんなが納得できるゲームに仕上げています。
これが対戦ゲームとして良しとするか否かは別問題ですが
どうしても勝ち負けが出てしまうことが苦手な人にもゲームを楽しんでもらえる

間口の広さを作ることができるシステムだと思います。


この「貝塚」のような勝利判定の曖昧さはボードゲームではあまりありません。
その点では、この貝塚では勝利判定をできる限り曖昧にしようとする意思を感じ取れました。
ただ曖昧過ぎてゲームなのか?と言われてもしょうがない作品だったかと思います。


※補足:勝利判定が曖昧なボードゲームについて
「Dixit」や「キャット&チョコレート」最近話題になった「たった今考えたプロポーズを君に捧ぐよ」といった発想系ボードゲームがこの勝利判定の曖昧さを上手く使いパーティーゲームとして人気を博していると思いますが、どのゲームのルールにも発想が良かったらポイント、ポイントが多い人の勝利というルールが付属しています。
また、もちろん枯山水といったボードを使い、負けても満足できるような作りに挑戦しているボードゲームはたくさんありますが、未だに勝ち負けを付けなければいけない呪いがかかっているように感じます。

 

「VOID」

オインクゲームズさんの新作ですが
このゲームに関しては記事にしづらいため、自分がプレイした画像だけ掲載しておきます。

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どんなゲームか気になった方は Twitterで #voidgameと検索してみると良いかもしれません。
これはゲームなのか?展にふさわしい新作ゲーム?だったと思います。

 


まとめ

他にも「宇宙ドミノ」「磁気力タッチ」「一年生ゲーム」等々
様々なゲームなのか?といった展示があったのですが
残念ながら私は入場規制で45分しか見れなかったため、他のゲームは体験することはできませんでした。
体験できなかったゲームはルール自体は見たのですが、実際に遊んだ人の話が聞きたいところですね。


そして、次回のイベントは来年夏を予定!
今から開催が楽しみです。

 

今度は入場料払うので願わくばもう少し大きい会場は取れないかな…とは思いますが
このような創意工夫に満ちたアイデアの展示をしかも無料で公開するというイベントを開催できたことこそ
ボードゲーム界が盛り上がりを見せ、興味のある方が増えてきたから実現できたことと思います。
個人的にはそのような時代になったことがとても嬉しく思います。

 


今後ますますのボードゲームの発展を願い、終わりの言葉とさせていただきます。

 


みんなボドゲ遊んで!!!!!