ストラスちゃんネット

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『リトルナイトメア』―あの日見た悪夢が蘇る―

リトルナイトメア。子供の頃見たあの悪夢が今再びここに。

 

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どんなゲームかを一言で表すのならば『不思議の国のアリス』。
というより、『歪みの国のアリス』と言った方がより適切だろうか。
あの奇妙で猟奇的でノスタルジック、どこか未知のもの(ここでは大人の世界)に対する根源的な恐怖を喚び起こす感覚は、これらの作品に近しい。 

本作はボリューム不足、単なるInsideフォロワーの一群と切って落とすには余りにも惜しい作品だ。
リトルナイトメアの優れた箇所、そしてこの2作を対比すると制作哲学の違いが見えてくる。

 

Braid、Inside、リトルナイトメアと物語を魅せることに注力した横スクロールゲームは現代においても進化を続けていると言えるだろう。

Braidにおいてはゲームシステム。

それは横に進むことで時間が進む、という固定観念を利用したコロンブスの卵。

Insideにおいてはオブジェクトの3D化による世界観の表現力の向上。
2Dではレイヤーとして分断されていたバックグラウンドの世界が3Dでの表現によって地続きとなった。
横に進むことで背景や周りの世界の時間も進む。
それによってプレイ時間単位での横スクロールの表現の幅が飛躍的に広がった。

 

ではリトルナイトメアは何が進化しているのだろうか。
それは『カメラワーク』だ。

Insideとリトルナイトメアの画面の映し方を比べてみよう。
Insideは画面構成が平面的。3Dとしての奥行きはあるがカメラワークは真横からにほぼ固定されているカメラだ。
対してリトルナイトメアは手持ちビデオカメラ風でかなりの手ぶれがある。
更に平面ではなく映す角度が変わる。時折カメラの動きに制限が入る。
今まで見えていた画面の先が、見たい時(怖い時)に限って見えなくなる。
モニタを通して世界を覗き込む私の気持ちに呼応するようなカメラワークだ。

 

両者の違いをストーリーから考えてみたい。
横に進むと何かが起こる。見知らぬキャラに出会う。時々追ったり、追われたりする。
そのプロットにあまり差異は無い。
大きく異なるのは舞台設定だ。Insideは自キャラが得体の知れない世界に放り込まれ、外の世界を知ろうとする。世界に没入させる。

対してリトルナイトメアは悪夢、夢を題材に取っているだけに自キャラから見た内面の世界。
画面には心象風景を映し出している。自キャラに没入させる。大きな違いがあるのはここだ。

 

Insideでは定点カメラ風の固定型カメラワークで、リトルナイトメアは手持ちカメラ風の可動型カメラワークにしたのは何故か。
それはInsideに必要なものは『ゲームとは隔絶された私』の、『世界の外部からの視点』。
そしてリトルナイトメアに必要なものは『ゲームの中に表現された私』の内的世界に入り込む、『より主観的な視点』だったからだ。
横スクロールで主観的な表現を追及するという矛盾。
それを解決するために役立ったのはあのGears of Warのローディーランで用いられた革新的なカメラワークでもある手ぶれ表現だった。

奥行きのある3D世界に可動式のカメラワーク。
両者が交わることによってシンプルなゲーム設計に重層的な表現力を持たせることが可能となった。
そうしてある時は先の見えない恐怖を、ある時は敵に追われる臨場感を、ある時は物陰を忍ぶ隠密を表現する情緒豊かなカメラワークが出来上がった。

 

主にボリューム不足が指摘される本作だが短い場面での手間のかかり様と廉価な価格帯を考慮するとけして高いものではない。
今回はsteamのウィンターセールで1000円程度で入手したが、DLCも出ているようなので続きも是非遊んでみたい。
全てが解き明かされなくてもいい。私はまだあの不気味に揺れて歪んだ悪夢の中を彷徨っていたいのだ。