ストラスちゃんネット

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Switch 『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 レビュー

Switchをゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドのために購入し、先日ようやくメインシナリオまでクリアしたので、感想を。

本当はファーストインプレッションを書くべきだったんだけど、なんか面倒でやらないままにしてしまった。

 

オープンワールドの革命児としてのゼルダBotW

オープンワールドというジャンルは昨今の流行りでTESシリーズに代表される数々の作品が出ていて傑作と謳われていたのだけど、個人的にはあまりいい印象を持っていない。

果たして今回のゼルダは、オープンワールドと言っても差し支えは無いだろうが、オープンエアと自称している。

オープンワールドの定義は、恐らくどこかで様々な議論が積み重ねられていて、私としてはGTA5を差して呼称されていたリビングワールドという名前がしっくり来て気に入っていたのだけど、ともかくこの作品はオープンエアと呼んで欲しいらしい。

 

私の思うオープンワールドの欠点は、移動時間の長さ・単調さ、戦闘のつまらなさ、レベル上げ、数だけはあるお使いミッション、がある。

個々の欠点を解消した作品はあるが、結局のところ巨大なゲームボリュームに対して、開発リソースの割けない部分は必ず出てきてしまうのだと思う。

 

ゼルダBotWは、オープンワールドということで許容されてきたこれらの欠点を全て解決したゲームなのだ。

 

フィールドを走り回る楽しさ

私はまずゼルダを遊んだ時に、この作品はロッククライミングゲーだと感じた。

それと同時に思い出したのが、ワンダと巨像だった。

ワンダと巨像にもグリップゲージが備わっていて、握力が低下すると落下する。

ゼルダではもう少しそのシステムを発展させているが、根本の楽しさはどちらも同じだ。

果たしてこの切り立った崖はどうやって登ろうかと思案し、より良い地形を、また、より高くへと、特に目的も無いのに登りたくなる。

 

スタミナゲージはダッシュと共通で、正直なところ長い距離を連続で走れないことは、不便に感じる。

だがそれは、マップ上の限られたポイントにしかワープ(ファストトラベル)出来ないことと同様に、計算されたシステムなのだと思う。

つまり、ゲームスピードを落としたかったのだ。

そして、自然とより速く移動するために、料理にも手を出すことになるだろう。

料理に手を出すことは、採集をすることに繋がり、目的地までただ走り抜けるだけではなく、採集物を探し回ることになる。

 

耐久値のある武器を次々と使い潰していく

武器に耐久値のついたゲームはあるのだが、スタンダードにはならなかった。

リアルさを追求するなら武器は壊れるべきだろう。

どうしてだろうか。

 

端的に言って、つまらないからスタンダードにはならないのだ。

ただのストレッサーにしかなっていない。

リアルさのためだけに加えた要素は、どれもゲーム体験の足枷にしかならない。

勿論耐久値を付けて成功したゲームはなきにしもあらずだが、ここではゼルダの成功例にだけ言及したい。

 

オープンワールドはどこへでも行ける。どこからでも攻略できるという自由度の高さが売りの一つだ。

ここで問題となってくるのは、序盤でうっかり強い敵を倒して(どこか深部の宝箱を開けて)最強の武器を手に入れてしまったら…?ということだ。

 

解決策はいくつかある。

まずは物理的にそこに辿り着けないようにすること。何らかの手段で行動範囲を制限する。

ゲームとしての一番簡単な手段はこれだろう。

エストを進行し、フラグを立てないと入れないようにしてしまえばいい。

だが、これは先に挙げたオープンワールドの利点をスポイルしてしまっている。

 

次に、レベルを上げないと倒せない敵を配置すること。

いかにもRPG的(ロールプレイングの意ではない)で、自由度が高いというオープンワールドの精神には反している。

 

自由度の高さを保ったまま強い武器の入手に対する諸問題を解決するためにはどうすれば良いのか。

そこでゼルダの取った解決策が、武器に耐久値を導入することだった。

 

ゼルダには序盤だと行けない場所というのがほとんど無いし(初期から最深部へは行けるのだろうか?未確認なので悪しからず)、なんならメインシナリオの重要そうないくつかのミッションすら飛ばしてクリアすることも出来てしまう。

レベル要素もほぼ存在しない。あるのはハートの数とがんばりゲージ(スタミナゲージのようなもの)で、これらは料理などの手段で無理やり伸ばすことも出来てしまうので、難易度こそ変わるが絶対的な障壁にはならない。

 

武器に耐久値を導入すると、まぁ言わずともわかるだろうが、最強の武器もしばらく使うと壊れてしまう。

強力な武器を序盤から入手することは可能なのだ。

現に私は、序盤からハイラル城に突っ込んで、その時点ではやたらと強力な武器を入手した。

だが、いくら強力な武器を持っていたとしても、しばらく使うと壊れてしまうのだ。

そして、入手の容易ないくらかの強力な武器は、ダメージは高いが壊れやすいという特徴を持っている。

 

また、強力な武器をたくさん保持しようにも、武器の保有スペースが非常に狭い。

後生大事に持っている強力な武器よりも、長持ちする適度なダメージを与えられる武器の方が使い勝手が良いのだ。

だから、強力な武器を入手しようが容赦なく使い潰すことが出来る。敵を倒せば新しい武器が手に入るので、壊れようがさほど気にはならない。

むしろ、壊れる直前にぶん投げて敵にぶつけるとダメージボーナスが入るので、積極的に破壊していく。

 

ところで、耐久値のあるゲームには、セットで武器の修理要素も大抵あるのではないだろうか?

ゼルダにはそれが無い。

私としては、この修理要素は全くの蛇足で、耐久値を付ける意義に反していると思う。

耐久値を付ける意味をふんわりとしか考えていないから、そうやって余分な要素を付けてしまうのだ。

修理をするために、またお金稼ぎや素材マラソンをさせられることになる。

ネガティブな動機でプレイヤーをコントロールするのは、美しくないゲームデザインだと思う。

その点で、壊すことに対してカタルシスを与えることに成功したゼルダは偉大だ。

そのうち武器の保有スペースを増やしたくなってくるだろう。

その時は、コログを探せばバッグを広くすることが出来る。

 

要素を重層的に重ね塗りしたマップの密度

ゼルダは、ただ走り回っているだけで楽しい。

とは言え、言葉通り走り回っているだけではない。

そこには様々な体験がある。走り回るだけで、体験に出会うことが出来るのだ。

ゼルダにも請負ミッションはあるのだが、ミッションを消化しに行かなくても道中で何かしら気になるものを追うと、何らかのリターンが発生する。

 

この探索の楽しさを支えているのが、一見地味なコログにある。

地味な仕掛けだが、その地味な仕掛けも900あるとなれば壮大だ。

これが、広大なフィールドを探索する意義の土台を支えている。

バリエーションも非常に豊かだ。探索すると目に入るちょっとした違和感が仕掛けに繋がっている。けしてワンパターンにはならず、プロシージャル技術で生成したマップに上からオブジェクトを設置したような取ってつけたものではなく、風景と仕掛けが一体化して作られている。

 

そのちょっとした楽しさがマップ中に散りばめられていて、更に重ね塗りするように塔・祠・敵の集落・収集物・自動湧きする敵や、その他の要素が積み重ねられているのだ。

さながらマップ上で体験のヒートマップを作り上げているようで、見えない AI Director  がいるようにすら感じる。

全ての要素を遊び尽くすことは困難だが、同時にそれくらい多くの要素を詰め込まないと、密度の濃いオープンワールドの体験を与えることが出来ないのだということの証左にもなっているのだと思う。

ただそれらはけして押し付けにはなっておらず、何かをやらなくてはならない義務感はなく、美味しいところだけ味わえるとても贅沢なゲーム体験だ。

目に入るやりたいことだけやって、それで満腹になればそれでいいし、もっとやりたいのならやれることはたくさんある。

飽きたら別のことを始めてもいいし、いくらでも目移りしていい。やろうとしたことを忘れてしまうこともあるだろうが、それは他のやりたいことが見つかったからで、思い出すまで好きなだけ目移りし続ければいいのだ。

遊びのバイキングが、ここにはある。

 

閑話休題

先程話した内容にも関わってくるが、この記事とゼルダを対比すると面白かったので、ここに貼っておこうと思う。

news.denfaminicogamer.jp

 

これを見て、私はゼルダは職人技で作り上げたゲームだったのだと感じた。

ゼルダBotWは、プロシージャル技術では辿り着けないレベルのオープンワールドを構築したのだと思っている。

だから、真似出来るのならして欲しい要素はあっても、果たして真似できるのかという疑問がある。それについては今後の技術の発展に期待したい。

 

オープンワールドの風景を切り取る

最後に、ゲーム冒頭の話まで遡るのだが、これもまたオープンワールドの非常に重要な進展の一つだと思っている要素で、それは写真だ。

 

オープンワールドは風景が重要だ。

何故広大なフィールドを、大して何も無いのに歩き続けられるのかというと、それは景色が綺麗だからだ。

マシンの進歩によって巨大なフィールドで美しい風景を描写出来るようになったことは、オープンワールドないしはそれに類する作品にとってそれらが発展した理由の一つであったことは間違いがないと思う。

だが、綺麗な風景があって、それを眺めて、システム側から何かしらのフィードバックを得ることは出来ただろうか?

プレイヤーが能動的に美しい景色を探して、それは、広大なフィールドに偶然出来た一瞬で、これにも勿論別の大きな価値はあるのだが、システム側からのアプローチを試みた作品が、近頃見られるようになってきた。

(私の狭い観測範囲から漏れてる作品は当然あるだろうがご容赦願いたい)

 

私の印象に残ったのはFF15GRAVITY DAZE 2だ。

FF15は相当話題になっていたが、パーティーにカメラマンが一人着いてきて、旅の中で定期的に写真を撮っていく。

リニアなストーリーからは起こり得ないハプニングやプレイヤーによって異なるナラティブ体験を写真に収めていくことは、プレイヤー本人の楽しみでもあり、かつその体験を共有したその他の人たちにとっても興味を惹かれる要素に仕上がっていた。

 

ところで、この写真の要素だが、私が最近プレイした古いゲームにも含まれていた。

それはMother2である。

冒険の途中で流れをぶった切って豪快に現れる天才写真家は、ゲームの思い出を振り返る仕組みとして、とても重要な機能を果たしていた。

如何せん唐突でその行為に何の意味があるのかわからず戸惑いを覚えるかもしれないが、場面を記録する行為の精神性は、FF15と同質のものがあるように感じる。

その他にも様々なシステムで、Mother2オーパーツのような、先進的なゲームだった。

 

もう一つのGRAVITY DAZE 2にはトレジャーハンティングというシステムがある。

これもなかなか独創的で、私はプレイしていないために細かい説明は調べてもらうことにするが、ゲーム内で写真を撮って共有し、それを見た他のプレイヤーがその写真に写った場所を捜索し、見つけ出したら宝箱を貰えるという仕組みだ。

ソーシャルとゲーム体験を非常に上手く結び付けることに成功している。

 

さてゼルダの話に戻るとするが、ゼルダも序盤、同じように風景を切り取った写真からポイントを探すミッションを与えられることになる。

何故このようなミッションを作ったのかというと、一つは物語的な理由がありシステムと行為に結び付きを与えることにあるのだが、他にもオープンワールドにおける風景の重要さに自覚的で、その美しい風景を自動生成に頼らずデザインして作り上げたので、是非ともそれを見つけ出すことを楽しんで欲しいという気持ちがあったのだと思っている。

この写真を元に風景を探し出すというミッションは広大なフィールドを自動生成しているとなかなか至ることが出来ない発想で、更に広大なフィールドを探索する中で、写真の景色を探しに行く、言い換えると名所探しの楽しさを与えてくれているのだ。

この景色を探す過程で、自分なりの美しい風景を見つけてシェアすることもあるかもしれない。

 

ともかく、この試みは、動機付けと目的の設置の両方に成功している。

オープンワールドでの美しい風景を探すという目的をゲームシステム側から補助する仕組みは、今後のゲームにも期待したい。

 

オープンワールドの未来

プロシージャル技術がより発展していったとして、果たしてゼルダのようなオープンワールドを作り上げることは出来るのだろうか?

未来のゲームが、今一足先に完成してしまったのかもしれないと、そう感じた。

 

ゼルダBotWがプロシージャル生成よりも手作業を重視してる前提で書いてるけど間違ってたらどうしよw)

 

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

 

 

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