ストラスちゃんネット

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矢部嵩『魔女の子供はやってこない』―特異な文体と華麗な比喩―

今日は小説家 矢部嵩について語ります。
読了作品は『保健室登校』、現在は『魔女の子供はやってこない』を読んでいるところです。

 

始めに知ったのはbotでした。
誰かがRTしていたpostを読んで、それがすごく惹かれる中身・文章だったので作品を読もうと思いました。
それは『魔女の子供はやってこない』の一節でした。

断章を読んで惹かれる作品には当たりが多く、
それが好きな人による凝縮したエッセンスの塊は作家の本質を表します。

 

一体私はこの作家のどこに惹かれたのでしょう?

矢部嵩作品の魅力は、倫理観のバランスを欠いた極めて軽く平等な命の扱い。
疑問や葛藤のかけらも無く各々の信念に基づき目的に直進する思春期少年少女。
一見すると稚拙で文脈が飛び飛びな理解のしがたい会話劇。
全くの無関係に見えるが時折この上なくぴたりと当てはまる美しい比喩。
これらを貫く不条理物語、にあると感じています。

中でも一番気に入っているのは文脈が破綻すれすれの推敲漏れとも見紛う文章です。
私がどうにか脳内に浮かんだ文章を加工することなく原型そのまま出力出来ないものかと
悪戦苦闘しながら書いていた文章の理想に近いです。
飛んだ文脈も言葉の組み立てより先に脳内からの出力を優先すると
頭の中を浮遊するいくつものデブリが挟まることになるそれです。
感覚的なものをそのまま感覚として出力するとこういった文章になります。

また、例えば「最寄り」という言葉を脳内ペースで素早く発音すると「みょり」になったりしますが、
そんな言葉が頻発します。幼児訛りです。推敲した人は大変だっただろうなとその労苦を想像します。
誤字脱字と見分けがつきません。

頭の中でのイメージはかなり支離滅裂な結びつきをするのですが、
そこには理屈以上の確たる強固な繋がりが存在します。
本来思考に因果なんて存在していないのです。
事象を言葉で説明したものは全て後付けの理論です。
ましてや人間の行動、物語なんてものは。

そこに不条理劇が生まれます。
因果の無い文章に因果の無い物語。人間の信念と行動だけがあった時に果たして何が起こるのでしょう。

読ませるために加工した文章ではないため読点は極めて少ないです。
読みづらいという声が大半でしょうしその意見に反論することは難しいです。
小説は読ませるためのものであり文章と物語を理解させるものであると定義した時に
矢部嵩は必ずしも高い評価を得られるものではないように思います。

それでも私はこのような作家が存在して、評価をする人たちがいることに感動しました。
少なくとも私のよいと思う方向性は間違えていなかったんだ!という気持ちになりました。
まぁ、私がこんな風に書くには文章力も語彙力も足りてませんね。

それに、矢部嵩は比喩表現が天才的なんです。この発想力あってこその脳直文章です。
世の中の物全てを並列に並べて同じものを取り出すことが出来るのでしょう。
視点がフラットで扱いが平等過ぎてグロに走りがちです。
これに関しては苦手な人も多そうです…。

あ、忘れてましたが矢部嵩ってホラー作家なんですよね。ホラー小説を書こうと思ってこの作品が出来るとは到底思えません。
ホラーって間口が広いんでしょうか?
確かにスプラッターではありますが、なんだか不思議です。
ギャグみたいなグロですがみんな真顔でやってる、そこは恐怖を憶えるところではあります。

 

PS:
『魔女の子供はやってこない』も読了しました。

しっかりとホラーしている話もあり、かつ魔女をメインに立たせることで倫理観の欠如に違和感をなくし、
その対比によって人の持つ人間性の恐ろしさを際立たせています。
文章の魅力もパワーアップし、荒削りだった前作に対しフォーマットが固まったように思えます。
作者の全般的な世界観からは子供の昆虫に発揮する残虐性とか、
Carnivalの小説のあとがき、鶏の割れた卵を親鶏が突くあの様を思い出しますね。

お気に入りの作家が増えてとても嬉しいです。
これから全作読んで行きたいと思います。

 

 

魔女の子供はやってこない (角川ホラー文庫)

魔女の子供はやってこない (角川ホラー文庫)

 
保健室登校 (角川ホラー文庫)

保健室登校 (角川ホラー文庫)