それは『What Remains of Edith Finch』なのか、『フィンチ家の奇妙な屋敷で起きたこと』なのか
数多の賞を総なめにした、2017年度のインディーズゲーム界隈において最もホットだったゲームのうちの一つ、『What Remains of Edith Finch』。
邦題は『フィンチ家の奇妙な屋敷で起きたこと』。
元々原題には"奇妙な"や"屋敷"といったようなワードは出てこない。
素直に訳すならば、『エディス・フィンチの遺したもの』になるので、この邦題には少々ミスリードなところがある。
というのも、屋敷を主体としてこの作品を捉えると、ピントがずれて物語の骨子がぼやけてしまうのだ。原題の通りなのでこれを解説することはなんら支障はないこととは思うが、この作品はエディス・フィンチの体験を追憶する物語である。
かつ、ここで起こったことは空想めいていて、全てが主観視点での感覚で、現実のものであったのかどうか定かではない。
第三者視点で見ると、ここで起こる物語は『フィンチ家の奇妙な屋敷で起きたこと』に違いない。
だが、ゲームが語る物語、換言すると私達が体験する物語は、『エディス・フィンチの遺したもの』なのである。
本作の面白い点は、手紙に閉じ込められたフィンチ家の歴史の数々の封を開けてそれぞれの体験を追憶するエディス・フィンチという人物と、更にその当人の物語が閉じ込められた物語の封を開けて追憶する主人公、という入れ子の入れ子構造になっているところで、その構造がそのままビデオゲームの封を開けてフィンチ家の物語を体験する私達にも通ずるものになっている。
タイトルには少し難癖をつけてしまったが、ローカライズの出来は素晴らしい。
テキストがオブジェクトとしても扱われるこのゲームを、雰囲気を損なうことなく訳した丁寧な仕事には賛辞を送りたい。
肝心のゲームの中身はと言うと、フィンチ一族の宿命懸かりで寓話めいた、奇妙な最期の瞬間を、エディス・フィンチの目を通して短編連作風に体感していくものとなっている。
その体験はどれもが新鮮で新しい驚きに満ちている。
次にどんな体験が待っているのだろうと、常にワクワクしながら歩を進める。
屋敷の中にはたくさんの物が詰まっていて、それら一つ一つが持ち主のバックグラウンドを匂わせる。
そこはまるでおもちゃ箱をひっくり返したような乱雑な体験の宝庫で、ビジュアル面においても操作面においても一族のみなのエピソードはユニークだ。
扉一枚開ける時にも閂を横に倒す動作がスティックを横に倒す操作に見立てられて、押して、引っ張り、回して、揺らして……。
作中のエピソードの一つに、コミック風の動く絵本が舞台装置として登場するのだが、私は本作の体験はまさにこの"動く絵本"の原体験から発展させて完成した作品だと思っている。
特に私のお気に入りのエピソードは、猫に变化する場面と、風呂場で跳ねるカエルのおもちゃを動かす場面である。猫の視点で軽やかに木の上を舞うモーションはクールだし、命を吹き込まれたおもちゃが踊る光景はとっても幻想的だ。
その強い印象は私の心を掴んで離さない。
屋敷の中の探索は、自由であるようでいて全てが誘導的で、細かな違いはあれど大筋において私達が受け取る体験は画一的だ。しかし、私達はこの体験を自由であると錯覚する。確りとした意志でもって選択している実感を与えられている。
ビデオゲームのストーリーテリングは、この「自由の錯覚」と「選択の実感」に特異性がある。
人々は、ゲームの中では本質的に達成し得ない心の自由と自らの選択を求める。
如何に錯覚させて、如何に誤魔化すか。その欺瞞が暴かれた時に、能動的なゲーム体験は受動的な動画視聴へと堕落する。
本作はビデオゲームの語りの限界に自覚的だ。驕ることなく真摯にそれと向き合っている。そしてその爛熟した魅力はここに実り、開花した。
(98点)