ストラスちゃんネット

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私は何故格ゲーを続けるのか

はじめまして。ねが(@nega0)といいます。


 当ブログ立ち上げに伴い、記事を一つ書いてくれとお願いされて筆をとった次第です。
 今回は「格闘ゲームをする理由」というテーマをもらったので、それについて自己紹介がてらつらつらと書いていこうと思います。


※この記事には格闘ゲームをはじめとした対戦ゲームに関するかなりの偏見が含まれます。
 そういう人もいるんだ、くらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。

 

  

  

格ゲーとの出会い

 格ゲーと出会ったのは中3の夏だったと思う。

 

 夏期講習の帰り道、友人と高田馬場のBIG BOXに行ったらFateのゲームが置いてあるのを見つけた。
当時バリバリのオタクだった自分はFateに釣られて100円を入れ、呆気なく負けた。
その時は特に面白いとは思わなかった。ただ友人とワイワイ遊べて楽しいな、くらいのものだったと思う。
次にゲーセンに行った時も自然とそのゲームを遊んだ。その次も。そのまた次も。
Fate/unlimited codeという格ゲーはコンボが難しいのだが、友人が見たこともないコンボを決めるだけでスゲー!と仲間内で英雄扱いされていた。
この頃は純粋にコミュニケーションツールとして格ゲーを楽しんでた気がする。

 

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今でも根強い人気がある格闘ゲーム

 

 その次にやった格ゲーはストリートファイター4だった。
当時最新作でプレイヤー人口も多く、ここではじめて他人に負ける悔しさみたいなのを知った。
練習するとそれなりに勝てるようにもなってきたけど、それでも友人とか知らない人に負ける方が圧倒的に多かった。多分ここらへんから格ゲーにハマってきたと思う。

 

 そんなこんなでいつも通りゲーセンに向かうと、見たこともないゲームが稼働していた。タイトル画面にはBLAZBLUEと書いてあり、いつもやってるスト4とは少し毛色の違うゲームに見えた。
ちょっと練習してみるかとやってみるとこれがまぁ結構勝てる。
「もしかして俺このゲーム上手いんじゃ?」少しの優越感が俺を格ゲーの沼に蹴り落とした。
完全に格ゲーにハマった瞬間。

 

仄暗い情熱

 ここからが本題。Fate/unlimited codeから始まり、色んな格闘ゲームをやってきた自分がどうして格闘ゲームを続けていたのか。

 

 それは一言でいうと続けるしかなかったからだと思う。

 

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 夏期講習の帰りにゲーセンに行くくらいだから、当時の自分は学生としては落ちこぼれていた。
運動神経も良くはなく、サッカーはリフティングができなくてユニフォームをもらう前にやめたし、6年間続けた剣道でも大会でブロック抜けすらできなかった。
そんな自分がゲーセンでは、格闘ゲームという土俵の上では友人たちや知らない大人にも勝てる。
他人よりも優れていると自分が実感できること、つまり一種のアイデンティティとして自分の中で確立されてしまった。
他人よりも優れている、そんな優越感に浸るために毎日タバコ臭く薄暗いゲーセンに通い詰める…とても充実した毎日だった。
情熱の傾け方が間違っていたとも感じている。
友人の言葉を借りると、「仄暗い情熱」という言葉はまさにその通りで、優越感を得るため、他人を見下すために努力した、それこそが自分が格ゲーを続けていた理由と言ってもいい。

 

 そんな感覚を得てからは、手を抜いたら負ける、対戦ゲームですら他人に負けたら俺には何もない、と思いながら格闘ゲームを続けるしかなかったのだ。
これが自分が格ゲーを続ける(しかなかった)理由。
正確にはMMORPGのFF14にもハマったけれど、俺が一番DPSが出せるんだ(DPS...ダメージパーセカンド、どれだけダメージを与えているかの指標)みたいな他人と比較して優越感を得る対戦ゲーム的な楽しみ方をしていた。

 

e-sportsという概念

 ついでに。最近格ゲーを含む対戦ゲームの多くは、e-sportsと称され、賞金付き大会が開催されたり、地上波で特集が組まれたりと広く認知されるようになっている。
近年の盛り上がりを見ていて、そういった動きが嬉しいと思う反面、格ゲーに仄暗い情熱でもって青春を捧げてきた自分としては一抹の違和感を拭いきれない。
競技、スポーツとされることであまりにも綺麗なものとして認知されてる気がするのだ。
格ゲーマーが負けて笑顔で握手とか考えられない、俺の友人は負けた悔しさでゲーセンに俺を置いて帰ったんだぞ。めっちゃ気まずかった。

 

 正直なところ時代かなー、とも思う。
先日の情熱大陸でもときどが言っていたが、「プレイヤーはマイノリティーだと自覚してる」とは本当にその通りで。
自分はまだ不健全な遊びとしてしか認知されてなかった時から格ゲーをやっていて、決して世間的に認められるものではないと知りつつ情熱を注いできたのだ。
獣道でウメハラに負けた時にときどが泣きながら「ゲームの中でくらい勝ちたかった」と言ったとき、ものすごく心を動かされた。今でこそスポンサーがついて、公明正大な人物としてときどは評価されるけど、こういう泥臭さがとても格ゲーらしいと思える。e-sportsではなく、格ゲーとは何なのか、その本質をウメハラが理解していて。だからこそ“獣”道なんていう野蛮なタイトルをつけるし、わざわざゲーセンで、従来の格ゲー対戦の形をとったのだと思う。場所まで全て含めてこれぞ格ゲー、これぞ格付けという最高の対戦だった。

 

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 ウメハラとときど、対戦終わったあと握手してなかった気がする 泥臭さ

終わりに

 最後に誤解のないようにいっておくと、格ゲーの楽しみ方はやっぱり色々あると思っていて。当時一緒に格ゲーをやっていた中高の友人とは今でも定期的に集まって他愛もない話に花を咲かせたりしてます。それも格ゲーをやっていて良かったと思えるところだよね。そんなこんなで、最初にも書いたけどあくまで1つの在り方として、ねがって人はこんな想いで格ゲーをやってたんだなと思ってもらえると嬉しいです。


 こんなことを言っていても最近はもっぱらコミュニティツールとして対戦ゲームを嗜んでいて、昔ほどの情熱がなくなってしまっていた。それは歳をとる過程で格ゲーに変わるアイデンティティを見つけたからかもしれない。「仕事で時間がないから負けても仕方ない」とか言い訳してる自分ダセぇな、と思いつつ。

 

 とはいえこの記事を書いて仄暗い情熱を思い出してしまったので、色々と落ち着いたら、また格闘ゲームと向き合ってみようかなと思っています。

 

 来年のevo japan、頑張って出場するぞー。

 

 

 

 

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