Clashは青春でした
LoLにClashというモードが追加されたのは2018年の5月のことでした。
元々LoLは5対5で戦うゲームですが、Clashは同じチームで3日間、トーナメントを勝ち上がるというルールです。
ありがたいことに私には、もう何年も一緒にLoLをプレイしている友人が多かったため、チームに誘われ参加することができました。
この時点では、単なるお祭りという印象が強かったと覚えています。
何年も一緒にプレイしているメンバーですから、いつものメンバーで遊ぶ事の延長として捉えていました。
そんな意識が変わったのは、Clashが始まる1週間ほど前のことでした。
「大会前に練習をしよう!」ということで、メンバーの1人のフレンドのチームと練習試合をすることになりました。
相手はこちらのチームよりも全体的に格上が多いチームでしたが、普段プレイしている中では格上相手に勝つことも少なくなかったため、それなりに自信がありました。
2試合ほど練習試合をしましたが、蓋を開ければ結果は惨敗。
個々の能力は決して負けていませんでした。
むしろ、格上相手に食らいついていたように思えます。
負けた原因は戦略の甘さ、そして何より自分の弱さを感じました。
私はチームでの役割として、司令塔のポジションを担っていました。
どのキャラを使用するか、どのように試合を運んでいくか、各々がどのように動いていくかを指示していく役割です。
個人で見ると負けていないはずなのに、試合で見ると散々な結果となってしまった。
自分の指示が的確でなかった事を痛感させられました。
なにより、こんなにも負けて悔しいと思ったのは久々でした。
そこからは、毎日練習の日々でした。
当時は仕事が忙しく、家に到着するのが22時を回るのが珍しくない日々でしたがそれでもなんとか時間をつくり、5人での練習にこだわりました。
恥ずかしい表現ですが、その中で確かにチーム内での絆のようなものを感じていたと思います。
私の指示を信用し、それが失敗に終わったとしても誰もメンバーを責めたりしません。
とある試合に勝利した後、その戦いを勝利に導いたプレイヤーが「俺は指示に従ったまでだから!」と言っていました。
それは何より嬉しい言葉であり、勝利よりも価値のあるものでした。
そして迎えたClash開催、1日目、2日目を全勝で終え、最終日の準決勝で負けてしまい幕を閉じました。
メンバーの1人は試合後、俺があの時ああしていればと悔しさを呟いていました。
多分、誰しも自分の非を責めていたと思います。
それでも、誰も人のことは責めません。
甲子園、最後のフライをエラーしてしまい負けてしまう試合を見たことがあります。
エラーをした選手は泣いていました。
でも誰も彼を責めることはなかったと思います。
私はチームを信用していましたから。
Clashが終わってから早3ヶ月がたとうとしています。
未だに、あの時の興奮を思い出す時があります。
勝った嬉しさも、負けた悔しさも、メンバーとの絆も。
私にとってClashは、遅れて来た青春でした。
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